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「初ダイブは20歳 家族旅行のグアムでした」

「一から出直そう!再スタートの2011年」

「東北のダイビングシーンを盛り上げたい!」

サッカーの街「浦和」でサッカー漬けの少年時代を送りました。将来の夢はご多分に漏れず「サッカー選手」(笑)。もちろん今でも浦和レッズの大ファンです(笑)小学校時代にはスイミングスクールに通っていたおかげでダイビングを始めたときも水に対する恐怖心は全くありませんでした。しかし、埼玉は海が無いこともあり、海にはほとんど行きませんでした(笑)

「夢のオープンウォーターダイバー取得」

1976年 石川県金沢市生まれ

1983年 埼玉県浦和市(現さいたま市)育ち

高宮大輔(たかみやだいすけ)
○スキューバカンパニードルフィン仙台・沖縄 代表
○PADIコースディレクター ♯812821-CD
○潜水士免状  丙種化学特別免状
【その他の役職】
○2011年度 公益社団法人仙台青年会議所 事務局長
○2012年度 公益社団法人仙台青年会議所 理事
○2014年度 公益社団法人仙台青年会議所 七夕花火祭特別委員会
○SENDAI光のページェント実行委員会 副実行委員長
○山形県潜水協議会 副会長

スキューバダイビングを始めた方は人生観を変えてしまうかもしれない魅力があります。そんな楽しいダイビングですが、その根底にあるのは「安全」であり、ダイビングそのものが安全でなければ海を心から楽しむことはできません。「ダイビングスクールにおいて最も大切な事は、インストラクターが徹底した安全意識を持って講習を行うこと。そして、生徒ダイバー自身が安全ダイバーになる意識をもっていただくこと。安全が確立されて初めて海を楽しむ事ができるのです。」このポリシーを確立したスキューバカンパニードルフィンの代表であり、PADのIコースディレクターでもある高宮の経歴とプロフィールを紹介いたします。
これからも「きちんとしたダイビングスクール」として、仙台と沖縄でダイバー育成を続けていき、「安全で楽しいダイビングライフ」を創造することで、「ドルフィンでダイビングを始めて良かった!」と言っていただけるよう、私自身もいちインストラクターとしてこれからもお客様の笑顔のクリエイターであり続けます。

そしてこれから

1996年 体験ダイビングで感動!

Daisuke Takamiya Plofile

「安全でなければ楽しめない」

日本が世界に誇るサンゴ礁の海「沖縄」は、ダイバーになったら行ってみたい海NO1。昨今では、LCCや旅割など、誰でも気軽に沖縄に行けるようになりました。そんな沖縄に支店を作るのは長年の夢でした。
同会社の支店であれば、お客様のレベルもよく分かり、初心者の方でもスキルの心配がいらずに沖縄の海を楽しむことができ、もっともっとダイビングライフを楽しむことができるようになりました!

2007年 スキューバカンパニードルフィン オープン

「人が宝!スタッフとお客様に支えられました」

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2015年 沖縄に支店を開設

家族旅行で行ったグアム。ホテルのロビーでブラブラしている時に、たまたま見つけた「体験ダイビング」の広告。思い切って申込みをし、初ダイブ!色とりどりの魚たちに本当に感動しました。水泳をやっていたので、水面に顔を浸けると無意識に息を止めてしまうのですが、レギュレーターをくわえ、呼吸ができたときの驚きと感動は今でも忘れられません。この時のダイビングで一番印象に残っているのはウツボですね(笑)一発で海中世界の虜になりました。
History

2000年 再び単身渡豪

「目的は一つ!インストラクターになって働く」

約10年間勤めていたお店を辞め、「ちゃんとしたダイビングスクール」と「取得後のしっかりしたアフターフォロー」を掲げ、3人のスタッフとともに泉中央に「スキューバカンパニードルフィン」をオープンしました。最初から3名のスタッフを抱えていたので最初は給料を払うのが大変だったのをよく覚えています(笑)しかし、多くのお客様に支えられ、順調にファンを増やすことができました。ちなみに、スタッフは前のお店の頃から一緒だったのですが、私が引き抜いて辞めさせたわけではありません。そのスタッフたちからお願いされ、私もそれならば、と、心が動いたのが真実です。今でも当時のスタッフ達には本当に感謝しています。
誰もが忘れもしない2011.3.11。店舗は泉中央の本店と、勾当台店の2店舗になり、3店舗目に「あすと長町」に出店をする予定でした。テナントはすでにあったので、店内内装のために視察に行った時に震災が起きました。その後、あすと長町店は諦め、勾当台店も3月中に閉店させました。3年目としてようやく軌道に乗り始めた勾当台店を閉店するにあたり、それまで頑張ってきたスタッフに申し訳ない気持ちがあったのですが、こればかりはしょうがなく、まさに断腸の思いでした。しかしいつまでもくよくよしていられません。被災地での支援活動を続けながら、もう一度初心に戻って歩き始めました。(写真:震災により閉店となった「勾当台店」)

帰国後は仙台のダイビングスクールで働きながら、同時にダイビングの専門学校の講師を勤めていました。インストラクターとしての勉強も続け、ランクアップを続けました。そしてついに2005年に東北初のコースディレクターとしてマレーシアのコタキナバルに召集され、トレーニングを受けて無事に認定されました。初めて潜ったグアムの海での感動から約10年。PADIの最高ランクにようやくたどり着きました。コースディレクターになればインストラクターコースが開催できる!ちゃんとしたインストラクターを育成する事で、ダイビングを安全に楽しく続けてくれるダイバーが増える!これから東北のダイビングシーンをもっともっと盛り上げていきたい。と思っていました。もちろん、その思いは今でも変わりません。
沢木耕太郎の小説「深夜特急」に憧れて一人旅に出たんです。小説通り香港から入り、バックパックを背負って貧乏旅行をしました。ホームシックやちょっと危ない目にあったりしながら(笑)たどり着いたのが西オーストラリアの「パース」。そこで夢のダイバーライセンスを取得し、3ヶ月の海外生活で多くのことを学びました。そのとき、1年間働きながら滞在できる「ワーキングホリデー」制度を知り、再びオーストラリアに来る事を心に誓いました。

1998年 単身渡豪

2011年 東日本大震災

2005年 PADI最高峰ランク「コースディレクター」取得

前回の渡豪から日本に帰ってきて、再びオーストラリアに行く為にひたすらアルバイトの毎日。昼も夜も結構掛け持ちしてましたね(笑)。ようやくお金もたまり、いよいよ再渡豪。目的は一つ、インストラクターになって本場で働く(修行)することでした。1999年にインストラクター試験に合格し、思い出の地「パース」で働きました。最初は失敗と反省の繰り返し。落ち込む事も多々ありましたが、憧れのオーストラリアで仕事ができる幸せを感じながら毎日を過ごしていました。当時は目が回るほど忙しい日々でしたが、毎日がとにかく充実していました。「安全」と「楽しみ」というインストラクターとしての考えはその時に確立しましたね。