History | 【PADI5つ星認定店】仙台&沖縄のダイビングスクール | スキューバカンパニードルフィン

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Historyドルフィンのポリシーは
こうして生まれた

「安全でなければ楽しめない」

スキューバダイビングには、人生観を変えてしまうほどの魅力がありますが、その根底にあるのは「安全」であり、安全でなければ海を心から楽しむことはできません。
「ダイビングスクールにおいて最も大切な事は、インストラクターが安全意識を持って講習を行うこと。そして、生徒ダイバー自身が安全ダイバーになる意識をもっていただくこと。安全が確立されて初めて海を楽しむ事ができる」。このポリシーを確立したスキューバカンパニードルフィンの代表であり、PADIのコースディレクターでもある髙宮の経歴とプロフィールを紹介します。

Profile

スキューバカンパニードルフィン代表

髙宮 大輔 (たかみや だいすけ)

〇 スキューバカンパニードルフィン代表
〇 PADI コースディレクター ♯812821-CD
〇 潜水士免許
〇 高圧ガス 丙種化学特別免状
沖縄サンゴの森プロジェクト代表

History

1976年生まれ

埼玉県浦和市(現さいたま市)育ち。
サッカーの街「浦和」で、サッカー漬けの少年時代を送りました。
将来の夢はもちろん「サッカー選手」(笑)。小学校時代にはスイミングスクールに通っていたおかげでダイビングを始めたときも水に対する恐怖心は全くなく、プールなど、水遊びは大好きでした。
その後、父の転勤により、中学校から仙台へ。

1996年

体験ダイビングで大感動!

初ダイブは20歳。
家族旅行で行ったグアムでした
体験ダイビングで大感動!

家族旅行で行ったグアム。ホテルのロビーをブラブラしている時に、たまたま見つけた「体験ダイビング」のチラシ。思い切って申込み初ダイブ!色とりどりの魚たちに本当に感動しました。水泳をやっていたので、水面に顔を浸けると無意識に息を止めてしまうのですが、レギュレーターをくわえ、呼吸ができたときの驚きと感動は今でも忘れられません。
この時のダイビングで一番印象に残っているのはウツボです(笑)。
一発で水中世界の虜になりました。

1998年

単身渡豪

夢のオープンウォーター
ダイバー取得
単身渡豪

沢木耕太郎の小説「深夜特急」に憧れてバックパックを背負って一人旅に出ました。ホームシックやちょっと危ない目にあったりしながらたどり着いたのが西オーストラリアの「パース」。そこで夢のダイビングライセンスを取得し、3ヶ月の海外生活で多くのことを学びました。
そのとき、1年間働きながら滞在できる「ワーキングホリデー」制度を知り、再びオーストラリアに来る事を心に誓いました。

2000年

再び単身渡豪

目的は一つ!
インストラクターになって働く
再び単身渡豪

日本に帰ってきて、再びオーストラリアに行く為に昼も夜もひたすらアルバイトの毎日。
ようやくお金もたまり、いよいよ再渡豪。目的は一つ、インストラクターになって本場で働く(修行する)ことでした。
1999年にインストラクター試験に合格し、パースのダイビングショップで働きました。最初は失敗と反省の繰り返し。
落ち込む事もありましたが、憧れのオーストラリアで仕事ができる幸せを感じながら毎日を過ごしていました。
当時は目が回るほど忙しい日々でしたが、インストラクターとして学ぶ事が多く、毎日が充実していました。

2005年

PADI 最高ランク
「コースディレクター」資格取得

東北のダイビングシーンを
盛り上げたい!
PADI最高ランク「コースディレクター」資格取得

帰国後は仙台のダイビングスクールで働きながら、ダイビングの専門学校の講師をしました。インストラクターとしての勉強も続け、ランクアップを続け、ついに2005年に東北初のコースディレクターとしてマレーシアのコタキナバルに召集され、トレーニングを受けて無事に認定されました。初めて潜ったグアムの海での感動から約10年。PADIの最高ランクにようやくたどり着き東北のダイビングシーンを盛り上げていきたいという思いは今でも変わりません。

2007年

スキューバカンパニードルフィン 
オープン

人が宝!お客様とスタッフに
支えられました
スキューバカンパニードルフィン オープン

「ちゃんとしたダイビングスクール」をやりたくて、10年勤めたお店を辞め、3人のスタッフとともに泉中央に「スキューバカンパニードルフィン」をオープンしました。最初から3名のスタッフを抱えていたので最初は経済的に大変だったのをよく覚えています(笑)。しかし、多くのお客様に支えられ、順調にファンを増やすことができました。ちなみに、スタッフは前のお店の頃から一緒だったのですが、私が引き抜いて辞めさせたわけではありません。同時期に退職したスタッフたちの熱い思いに心が動いたのが真実です。
今でも当時のスタッフ達には本当に感謝しています。

2011年

東日本大震災

一から出直そう!
再スタートの2011年
東日本大震災

誰もが忘れもしない2011. 3. 11。そのころには泉中央の本店と、勾当台店の2店舗になり、3店舗目に「あすと長町」に出店をする予定でした。店内内装のために視察に行った時に震災が起きました。その後、あすと長町店は諦め、勾当台店も3月中に閉店させました。3年目としてようやく軌道に乗り始めた勾当台店を閉店するにあたり、それまで頑張ってきたスタッフに申し訳ないのですがこればかりはしょうがなく、まさに断腸の思いでした。しかしいつまでもくよくよしていられません。被災地での支援活動を続けながら、もう一度初心に戻って歩き始めました(写真:震災で閉店となった勾当台店)

2015年

沖縄オフィスを開設

気軽に沖縄でダイビングを
楽しめるようにしたい!
沖縄オフィスを開設

日本が世界に誇るサンゴ礁の海「沖縄」は、ダイバーになったら行ってみたい海No.1。
昨今では、LCCや旅割など、誰でも気軽に沖縄に行けるようになりました。そんな沖縄に支店を作るのは長年の夢でした。
同会社の支店であれば、お客様のレベルもよく分かり、初心者の方でもスキルの心配がいらずに沖縄の海を楽しむことができ、もっともっとダイビングライフを楽しんでいただくことができるようになりました!

そしてこれから

安全で楽しいダイビングライフを
提案し続けるお店へ
そしてこれから

これからも「ちゃんとしたダイビングスクール」として、仙台と沖縄でダイバー育成を続けていきます。そして、「安全で楽しいダイビングライフ」をクリエイトし続けることで、「ドルフィンでダイビングを始めて良かった」と言っていただけるよう、お客様の笑顔のクリエイターであり続けたいと思います。
また、2018年に立ち上げた「沖縄サンゴの森プロジェクト」も地道に活動を続け、自然保護活動にも力を入れていきたいと考えています。